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活動報告  2016年09月

2016年9月02日

丹羽建蔵氏 旭日単光章受章祝賀会祝辞

平成28年9月2日 午後5時~
於・三田ホテル 3階 花の間

ご紹介を賜りました県会議員の野間ひろしでございます。丹羽建蔵様が春の叙勲で旭日単光章の栄に浴されました事、また本日祝賀会が盛大に開催されますことお慶びし、お祝いのご挨拶を申し上げます。

この度のご受章は丹羽さんが平成7年11月から17年間に亘り三田市公平委員会委員をまたある年には委員長をお努めになったご功績によるものでありますが、私は丹羽さんの三田の人物史、歴史を始めとする文化活動とひととなりについて語らせていただきます。

丹羽さんは昭和19年2月22日、松蔵様と房子様の長男としてお生まれになり、昭和41年3月に関西学院大学を卒業、お父上、松蔵様が営んでおられた食料品、酒類卸、販売を業務とする(株)丹商に入社、昭和62年11月社長就任、とにかく仕事に一生懸命で当時の阪神流通センター内の本社に毎朝7時には出勤されていたのを思い出します。ご長男の篤蔵様が後継ぎとして立派に成長、建蔵さんは平成24年10月に(株)丹商の取締役会長へと第一線をひかれました。

さて、丹羽さん宅には独楽庵という茶室の備わった離れ家があります。恐らく(株)丹商の前身、江戸末期創業の丹羽屋2代目近蔵様(建蔵さんの祖父)が昭和10年代に建てられたそうであります。祖父近蔵様はお茶、食品、酒の問屋を営み財をなす一方、茶道が趣味で数々の茶器はじめ骨董品を収集されていました。一昨年9月23日に丹羽さんが鑑定依頼出演、放送された「なんでも鑑定団」で1200万円の値がついた寛政の三筆の一人、近衛信ただの三重の箱に入っている言上状はその一品であり、独楽庵には多くの価値ある茶器、壺,はじめ掛け軸など骨董品が納められているようです。

丹羽さんは暇を見つけては骨董品を整理するうち、平成の始め頃、ご自分も茶の道を志すようになられました。 直江先生に茶道をお教えいただきながら、平成19年、気心のしれた数人の友人と九鬼氏の定紋「七曜」を取り入れ茶を嗜む会「七曜会」を立ち上げられます。 以前から三田の歴史に関心があり、特に幕末から明治にかけて九鬼三田藩に関わりのある先人の功績について資料を集めたり、時には高田先生や岩田先生のご指導を仰ぎ、また所縁の地を訪ねたりしておられました。   

平成20年に、三田に所縁のある人物をテーマに毎年秋に七曜会主催の茶会を開くことを決定され、その年第1回目、私もお招きに預かりましたが心月院でテーマは九鬼隆一であったと記憶しています。茶会の際の講演会や展示会には「NPO法人歴史文化財ネットワークさんだ」の皆さんの協力を得られています。

特に平成25年、大阪難波橋の「ライオン像」の作者で知られる三田出身の天才彫刻家の天岡均一がテーマの際は、没後90年ということで3年ほど前から展示作品の募集を呼びかけ約100点も集められ、また身内の方の話を聞き、回顧録を発行されるなど熱心に取り組まれました。本日、ご参会の皆様の中にも展示のため秘蔵の天岡均一の作品を提供されるなど協力された方々もいらっしゃると伺っております。 来年は10回目の節目の茶会を迎えるのでテーマをよく考えて臨みたいと熱意を示されています。 これらの事業は丹羽さん一人ではできません。丹羽さんの情熱、人間性が多くの人々の協力を呼ぶのだと思います。

残念ながら三田には建造物等歴史遺産がありません。三田に所縁のある歴史上の偉人ともいうべき先人をたどるしかございません。丹羽建蔵さんの活動こそ三田の観光振興や教育・ひとづくりにもつながり、三田の地域創生にもつながります。 朝3時50分に起床、ウオーキングから始まる日常生活、決して目立つことなく、地道に、そして何事も続けることを人生訓にしておられる丹羽さんです。

昭和29年から37年まで兵庫県知事を2期つとめられた阪本勝先生、その著「知事の手帖」にこう記されているそうです。
「人もわれも、ひとしくこれ、流れに浮かぶ一片の花びら。昨日いずこの岸に漂い、今日どこの瀬にしずむやら、何人が知るものか。何の地位ぞや、何の名誉ぞや。人間それは地位以前のものである」
まさに地位や名誉を意識されない丹羽建蔵さまの生きざまです。

それだけにこの度の栄えある叙勲は私にはいかにも重みがあり、一段と輝いて見えます。これを期に世のため、人のため、そして自らのためにさらにご活躍ください。

おわりに丹羽様ご夫妻のご健康とご多幸をお祈りし、少々長くなりましたがお祝いのご挨拶と致します。誠におめでとうございます。