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お知らせ  2017年4月

2017年4月14日

恒さんを偲んで

第46回卒 野間洋志

去る三月十五日午後四時五十分だったと記憶しておりますが、
恒さんの奥さま渡瀬い保さんから「昨夜十一時十八分主人は亡くなりました」と携帯電話で告げられました。予期していた事とはいえただただ茫然とするだけでした。

翌十六日朝からテレビで報道されたことで、三田学園の同期は勿論、
私が恒さんと仲が良く、特に私がお世話になっていたことをご存じの方々から弔意の電話をいただき、また報道関係各社から三田学園当時の恒さんについて思い出があればとの問い合わせがありました。

昭和三十五年四月高校一年生になった時、
同じクラスになってから何となく気が合い(容姿は全く逆ですが)
三田学園を卒業してから、特に大学時代、彼は早稲田、私は関学でしたが、共通の友(三田学園の同級生)とともに淡路、三田、東京と互いに行ったり来たりしていました。

高校生の時の恒さんはあまり勉強はしませんでしたが、
読書家であり夏目漱石から石原慎太郎まで幅広いジャンルに及び、【乾坤一擲】という熟語が好きでした。新聞もよく読み国語と現代社会は二百七名中、上位三番以内の成績であったと記憶しています。

確か大学三年生の頃、既にお兄さんの渡哲也さんは日活のスター街道を歩まれていました。
恒さんは、兄貴は兄貴俺は俺だと、「俺は作詞家を目指す」と何本も詩を書いて感想を求めてきました。結構上手かったのでひょっとしたらと思ったのを憶えています。

彼は広告代理店に就職し、私は証券会社に就職し大阪支店に勤務を命ぜられ、たまたま道場の実家に帰っていた時、確か昭和四十五年頃でしたでしょうか。
恒さんから電話がかかってきて
「野間か、今、札幌で映画のロケ中や、女優の賀川雪絵さんといっしょや」
私はおもわず
「ほんまかいや」と
これが名優と今惜しまれている渡瀬恒彦の始まりです。

最初は「鉄砲玉の美学」や「仁義なき戦い 代理戦争」などのような下っ端やくざを演じ、
昭和の終わりから平成にかけては「セーラー服と機関銃」これも人情やくざでしたが、
今は亡き夏目雅子さんとの共演「時代屋の女房」で素晴らしい演技力を発揮しました。
平成に入ってからは、テレビドラマに重きを置くようになり「十津川警部」や「タクシードライバーの推理日誌」そして「おみやさん」を始めとする二十五年間をも超えようかという長く続いたドラマに主演お茶の間で親しまれてきました。
私達のみならず子供たちにも正義、勇気、人情、絆など人間として忘れてはならない大切なものを思い出させてくれたのではないでしょうか。

去る三月三十日私は成城の渡瀬家を訪れました。
「警視庁捜査一課9係」の担当プロデューサー、
金丸さんがお見えになっておりしみじみ語られました。

入院中もベッドの横に「警視庁捜査一課9係」の台本を置き、
亡くなる前日も打ち合わせをしました。
四月からの「9係」は主演渡瀬(加納倫太郎)不在です。
渡瀬恒彦さんだからこそ、主演不在でも放送ができますと。
恒さんはそんな大きな存在であったのです。

俳優さんになって平成に入ってから、私の個人的な願いで七度三田へ来ています。
来るたびに「三田は変わったなあ。信じられん。」と言っていました。
きっと三田学園当時を思い浮かべていたに違いありません。
お兄さんの渡哲也さんとともに名門三田学園の名を世に広めてくれました。

恒さんありがとう。
お疲れ様でした。ゆっくりお休みください。

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